自己紹介

院長 歯学博士 池田智之

幼少期

私、院長の池田智之は、1976年の夏に三人姉弟の末っ子として生まれました。父はサラリーマンの転勤族で仕事一筋、普段はあまり育児に口を 出しませんでしたが、怒るとそれはそれは怖かった記憶が残っています。母は関西の自営業の家庭出身で、「黙ってはいられない」生粋の関西人でした。ユーモアにあふれ、母のいるところはいつも明るく朗らかな空気に満たされていました。そんな両親と、歳が少し離れていたこともあり、本当にかわいがってくれた二 人の姉に囲まれ、今考えても「これぞ日本の家族像」というほど、ささやかですが幸せな家庭に育ちました。

幼少期は父の転勤の関係もあり、青森・埼玉・札幌とさまざまな都市にご縁がありました。そんな中でも、やはり私の心の原風景は、もっとも多感な時期を過ごした札幌時代であることは間違いありません。そしてこの頃、私の人生感の根幹を成す部分、すなわち「心地よい気持ちになれる場所」が自分にとってどんな場 所なのか、ということを認識する大きなきっかけを与えてくれるものがありました。それが夏休みに毎年のように家族で出かけた「北海道でのキャンプ」でした。

当時のキャンプ - しかも北海道におけるそれ - は、今のようなお洒落でコンフォートなモノとはまったく異なる、まさに”野営”といって差し支えないものでした。便利なガスカートリッジランタンなどまだ 普及しておらず、虫のたかる懐中電灯に始まり、組み立ての途中でだいたい必ず夫婦ゲンカになるほど複雑だったファミリーテント、国道とは名ばかりで、峠越えはすべてデコボコの砂利道など、今と比べると本当にタフなキャンプを強いられました。しかし、家と変わらない快適設備を自然の中に無理やりねじ込む、いまどきのキャンプと比べて、自然の素晴らしさや厳しさをもっともっと肌に近いところで感じることが出来る素晴らしい体験が出来たのも事実です。そして時は折りしも、「ミツバチ族」なるツーリングライダーの俗称が生まれるぐらい空前のバイクブーム。いたいけな少年の目に、北の地を縦横無尽に駆け巡る大人(当 時はそう見えました)は仮面ライダーよりもリアルな、憧れの対象として焼きついていました。
勉強はあまり得意ではありませんでしたが、好きなことに対する集中力は誰にも負けない自信がありました。特に機械や特撮などの技術に目がなく、将来は本気でジョージ・ルーカスに弟子入りするつもりでいました(笑)。

中学校時代

そんな私も進学を考える時期になり、当時札幌の郊外に新設された中高一貫校である北嶺中・高等学校に進学しました。大きな山を背後に抱えた、まさに 「森の中の行き止まり」の学校で、最寄のバス停まで歩くと2時間かかるというとそのすごさが分かっていただけると思います。素晴らしい先生方に恵まれ、前 述の自然環境ともあいまって、本当にのびのびと中学時代を過ごしました。しかし、のびのびしすぎたせいか、はたまた中高一貫校の宿命なのか、次第に成績は下降気味になり、いわゆる完全な「中だるみ」状態に陥ってしまっていたのです。
しかし、そんな私の頭にガツンと一撃くらわすことが起こりました。父の転勤です。時は中学3年生の秋。高校受験をするなどとは露にも思っていなかった私 は、初めて自分の将来に大きな不安を感じ、限られた時間の中で出来ることをして、自分の人生を切り開かなければならないと思いました。

高校時代

札幌生活の長かった私が横浜の浅野高校に進学することになり、何もかもがカルチャーショックでした。自分の体格をよく考えずに入部した(?) ラグビー部では、本当に朝から晩まで練習に明け暮れ、体を鍛えると同時に、組織における上下関係の厳しさも学びました。しかしここでも尊敬できる仲間たち がたくさんでき、そうした仲間たちと将来を語り合う中で、はじめて自分の将来の進路を「医療」という人の役に立てる専門職にしたいという気持ちが芽生えました。なぜ歯科医師を目指したのかは、とてもよく聞かれる質問ですが、幼い頃からの「機械・特撮好き」が、歯科治療の際に見た咬合器(顎の動きを再現する 機器)に運命の出会いを感じたのも無理からぬことだと思います。

大学時代

憧れの北海道大学に入学した私は、いよいよあのときの思いを実現することにしました。そう、バイクを駆って日本中を旅するのです。必死のアル バイト(塾教師からバーテンダーまで!)で手に入れたポンコツのハーレー・ダビッドソンで、学業はほどほどに(?)日本全国を放浪しました。当時日本一周 をともに敢行した桃沢君とは、いまでは桃沢先生・院長先生と呼び合うビジネスパートナーでもあります。
そんな学生時代でしたが、実際に歯科医療にかかわる臨床的な講義に入ってからは、学ぶことすべてが理論的で、その世界にどんどん引き込まれていきました。そして卒業試験では、補綴という、今も私の専門となる分野でトップの成績を収め、協賛歯科企業の賞をいただくことができました。

大学院時代

卒業後、私は遠く離れた東京・御茶ノ水にある大学院にいました。進路を決める段になって、どうしても学部の6年間では極めることができない専門知識 を習得すべく、大学院への進学を決めたのです。当時、卒業後に他大学の大学院に進学することはまれで、右も左も分からない他大学へは、どのようにすれば入学できるのかもはっきりとしませんでした。縁あって入学を許された東京医科歯科大学大学院での研究・臨床生活は、大山喬史教授のもと、まさに朝から晩まで 専門分野の追求に集中する機会に恵まれ、本当にあっという間の4年間でした。このとき教えられた、孔子の言葉「忠恕」(己の欲さざることを人に施すなか れ)が私の臨床のバックボーンになっています。

副院長 歯科医師 池田えり子

はじめまして!あおぞら歯科クリニック副院長の池田えり子です。

私は、母の実家である北海道帯広市に生まれ、3歳まで千葉県柏市で過ごしました。
父の仕事の都合でその後札幌に転居、公立小・中学校を経て、道立札幌南高校に進学。3年間ブラスバンドにのめりこみ、自由な校風を十二分に謳歌した結果、現役合格の夢は潰え、一年の浪人生活を経て、北大歯学部に入学いたしました。
一年間ストップしていた青春時代を取り戻すべく、入学後は、幼少時にならっていたバレエを再開したり、アルバイトやバドミントンなど充実した日々を送っていました。大学3年の夏には、かねてからずっとコンプレックスであった歯並びの矯正を始め、左右の突き出た八重歯も徐々に綺麗になり、歯科医師として内も 外も準備が整ってきたのです。
そんな私に、一生懸命前向きに生きることを気づかせる出来事がありました。それが、ボランティア先で訪れた、筋ジストロフィー患者の男性との出会いでした。
余命宣告を受けながらも必死に生きる彼の姿と、様々な医療制度の矛盾や在宅介護の問題を抱えながらも日々奮闘するボランティア仲間の情熱に、非常に感銘を受けました。
あの出会いこそが、私に、一医療人として、人の役に立ちたいと強く奮い立たせたでした。
歯科医師として、誰か悩みをもっているなら私はその手助けをしたい。

患者さんがあおぞら歯科に来た後、たとえ小さくとも何か喜びを見出し、笑顔になれるよう、日々努力していきたいと思っております。

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